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墨田区の歴史

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墨田区は1947年に北側の向島区と南側の本所区がひとつになり、誕生しました。
墨田という名前は、昔から広く人々に親しまれてきた隅田川堤の通称「墨堤」の「墨」と、
隅田川の「田」から2文字をとって「墨田区」となりました。

この墨田区、人類の歴史が始まった紀元前6千年ころは、まだ海底だったようです。
長い年月をかけて、東京湾北に入り江がひきはじめ
秩父連峰、三国山脈、日光連山などを水源とする河川が運んできた土砂が、
河口に堆積して土砂が生まれました。
それが、今の墨田区の基盤となっているそうです。
戦後焼け野原だったこの地もだんだんと、家が建ち工場も立ちました。
そして産業のまちとして発展していったのです。

明治時代には墨田区も、首都東京の一部として、その役割を果たしていきます。
工業地帯化した墨田区は、紡積、精密工業、石鹸、製靴が盛んで
大正時代には輸出向けとして、玩具製造、ゴム工業などが発展していきました。
そして交通綿では、今の総武線が乗り入れるなどして相次いで交通網が
開けていったようです。

ですが、大正時代の関東大震災でとても大きい被害を受けました。
それでも時間をかけ復興し、今の墨田区があります。
今この姿があるのは
度重なる災害にも負けずに、頑張ってきた人たちの証ですね。

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